神戸地方裁判所 昭和45年(ワ)1305号 判決 1972年9月26日
原告
郡山信義
原告
郡山智江子
右訴訟代理人
吉本範彦
同
安藤猪平次
被告
株式会社
神戸銀行
右代表者
石野信一
右訴訟代理人
北山六郎
同
森田宏
同
前田貢
同
山本弘之
主文
1 被告は、原告郡山信義に対し、金六九万五、〇七六円、原告郡山智江子に対し金二三万四、八四八円、及び各金額に対する昭和四五年七月一一日から各支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
2 原告郡山智江子のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、原告郡山信義と被告の間で生じたものは被告の負担とし、原告郡山智江子と被告の間で生じたものは、これを三分し、その二を被告、その余を同原告の各負担とする。
4 この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、原告郡山信義において金一五万円、原告郡山智江子において金五万円の各担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告ら
1 被告は、原告郡山信義に対し、金六九万五、〇七六円、原告郡山智江子に対し、金三五万九、八四八円、及び右各金額に対する昭和四五年七月一一日から各支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二、被告
1 原告らの請求を棄却する。
(イ)
(ロ)
(ハ)
(ニ)
預金者
原告
郡山智江子
左同
原告
郡山信義
左同
預金の種類
普通預金
自動継続定期預金
自由積立預金
自由積立預金
預金額
一五万〇、一七七円
(45.7.10当時)
二三万四、八四八円
(45.7.9当時)
二〇万円
四五万円
満期
46.4.1
45.3.1
44.4.3
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二、請求の原因
一、原告らは、被告銀行新開地支店に、次のとおり預金をした。
二、そこで、原告らは、昭和四五年七月一〇日、被告に対し、自己の右各預金から次のとおりの払戻を請求したが、被告はその支払をしない。
(イ)の預金から一二万五、〇〇〇円
(ロ)の預金から元利合計二三万四、八四八円(中途解約)
(ハ)の預金から元利合計二〇万七、一〇九円
(ニ)の預金から元利合計四八万八、九六七円
三、よつて、被告に対し、原告郡山智江子は右(イ)(ロ)の元利合計三五万九、八四八円、原告郡山信義は右(ハ)(ニ)の元利合計六九万五、〇七六円、及び右各金額に対する払戻請求の翌日たる昭和四五年七月一一日から各支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四、(予備的請求原因)
たとえ右預金の払戻請求が認められないとしても、右各預金の通帳と証書合わせて四通及び印鑑二個は、昭和四五年七月一〇日午前一一時ころ原告らの自宅において高見昇に窃取され、右高見は、それらの通帳、証書、印鑑を用いて、同日正午ころ被告銀行新開地支店から、前記二の各金額の払戻を受けたものであるが、その払戻を担当した従業員河原かなみには、後記第四の主張の欄で述べるように、払戻に関し重大な過失がある。したがつて、原告らは、右従業員の業務中の過失により、高見昇が不正に払戻を受けたのと同額(即ち前記二の金額)の損害を蒙つた。
よつて、原告らは、予備的請求として、右従業員の使用者たる被告に対し、民法七一五条により、損害賠償の支払を求める。
第三、請求原因に対する答弁及び抗弁
(請求原因に対する答弁)
一、請求原因一、二項の事実は認める。
二、同三項は争う。
三、同四項の事実のうち、昭和四五年七月一〇日正午ころ被告銀行新開地支店従業員が原告ら主張の本件各預金の払戻をしたことは認めるが、その払戻の担当者に過失があつたとの事実は否認し、その余の事実は知らない。
(預金払戻請求に対する免責の抗弁)
昭和四五年七月一〇日正午ころ、被告銀行新開地支店に、請求原因一項の各預金の通帳、証書及び届出印鑑を持参し、払戻請求(なお、前記(ロ)の定期預金については更らに中途解約依頼書を提出して期限前払戻請求)をする者があつたので、被告は、この者に対して、請求原因二項のとおりの金額(ただし、(ロ)の預金については二三万六、二二八円)を払戻した。そしてその払戻は善意かつ無過失によるものであるから、民法四七八条により債権の準占有者に対する弁済として有効である。
したがつて、原告らの本件各預金債権は消滅した。
第四、抗弁に対する原告らの答弁及び主張
(答弁)
被告主張の抗弁のうち、被告がその主張の日時ころ新開地支店において請求原因一項の各預金の通帳、証書及び届出印鑑を持参した払戻請求者(高見昇)に対し右各預金から請求原因二項の各金額の払戻をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(主張)
一、右の払戻を担当した者には、その払戻に関し、次のような重大な過失がある。
高見昇は、原告らの前記各預金のほとんど全額の払戻請求をし、その中の前記(ロ)の定期預金については中途解約をし、その解約の理由を「出産」としているのに、被告銀行担当者は、前記(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の各預金のほとんど全額にあたる元利合計一〇五万円余の多額の支払に応じた。社会常識からみて出産費用はせいぜい一〇万円どまりであるから、出産のため一〇〇万円もの払戻請求をすることについては当然疑問をいだくべきであつた。然るに担当者はその疑問をいだかなかつた。
また、前記(イ)(ロ)の預金は女性名義(原告郡山智江子)であるのに、男性たる高見昇が払戻請求をしたこと、払戻請求書に原告郡山信義と同郡山智江子の印鑑を間違えて押印したうえ、住所の表示も間違えていること、それに高見が同支店には初めての来行者であつたこと、以上のような事実があるのに、担当者は、高見が預金者本人でないとの疑問をいだかなかつた。
しかし、右のような場合には、払戻担当者としては、請求者がはたして預金者本人であるか否かを確認するため、身分証明書等の呈示を求めるか、上司に相談し、または応接室に通すとかの銀行業務上通常行われている措置をとれば、払戻請求をした窃盗犯人は容易に逃走するなど同人が預金者本人でないことの確認ができたであろう。然るに、それらの措置をとらずに払戻をしたことには重大な過失がある。
したがつて、預金の通帳、証書と届出印鑑を持参する者に対する払戻であつても、右のとおり払戻に関し担当者に重大な過失があるから、高見に対する払戻は、民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済とはならない。よつて、被告が原告らに対する預金の支払を免責されることはない。
二、次に、前記(ロ)の定期預金の払戻は、満期前の弁済であるから、手形法四〇条二項の類推適用により「自己の危険においてこれをなした」ものとして、本件払戻に関し、全ての責任を負うべきである。仮にその適用がないとしても、満期前支払については、満期後の支払より一層注意義務が過重されるべきである。
第五、原告らの右主張に対する被告の反論
一、1定期預金の中途解約にあたつて、被告銀行では解約依頼書を徴し、これに中途解約の理由を記載してもらつているが、それは中途解約の理由の如何によつては(例えば転勤)、顧客のためにも、必ずしも中途解約して利息の利益を失わしめないように勤めることができることから、一応参考のためこれを徴しているにすぎない。のみならず、解約の理由の記載は、誰でも他人に知られたくない金銭の入用が多いことは常識上当然であるから、顧客が常に真実のことを書くものとはもともと期待されていない。
また、銀行としては金銭の必要理由をとやかく詮索することができないことは勿論である。したがつて、本件の場合、解約理由の記載が出産とあつても、それが真の理由であるか否かは銀行の詮索すべき限りでなく、またそれのみが解約の理由であると推測することはできないから、解約の理由と払戻金額との不相当さなどを問題にする余地はない。
したがつて、銀行の担当者としては、その点に不審をもたなかつたのは当然である。
2、預金名義人が女性であつても預金契約者本人が男性であることは銀行業務上しばしばあることであり、何ら格別疑念を生じさせる事由には該当しない。
3 一人で数個の印鑑を使いわけたり、家族などの名義で数個の預金口座をもつ例は極めて多い。そして払戻請求の際、数個の印を持参し、届出印はどれであつたかと銀行に問う例も少なくない。このような場合、それだけのことで疑つてかかつたり、身分証明書を求めたりするわけには行かない。まして本件の場合、現に他の印も被告の別の預金口座に届出されている印であり、両者が同姓であつて夫婦であろうと推測される場合である。銀行の担当者が不審をもたなかつたのは通常の業務として当然であり、その者に過失はない。
4 本件預金の払戻がほとんど全額であつたことは何ら特異なことではないし、またこのことは担当者の注意義務となんの関係もないことである。
5 定期預金の中途解約依頼書に記載された原告郡山智江子の住所は大石東町一丁目四の二二であつて、一丁目一の四でないことは事実である。しかし、右住所の表示は丁目まで同一であり、しかも一の四は昭和四二年六月の住居表示変更前の表示であり、変更後の表示は四の二二である。そして原告郡山信義の自由積立預金の住所も(ニ)のそれは一の四で、(ハ)のそれは四の二二となつている。郡山智江子の夫と推測される同姓の郡山信義の住所が二通りあり、中途解約依頼書に記載した住所はその一方に一致しており、かつこれらの両名義の各預金も同一機会に払戻されたのであるから、正当な払戻請求者でないと疑う余地はない。
6 更らに、大量かつ迅速な処理を要請される銀行業務においては、払戻請求者の正否を確認するには、預金通帳または証書と届出印鑑の所持の有無によつてするよりほかない。したがつて、特に疑うべき事由のない限り、窓口にあらわれた者が何人であるかを確認するため身分証明書等の呈示を求める理由はなく、また必要でもない。初対面の来行者であつても同一である。
そして、本件の場合、特に疑うべき事由はなかつた。したがつて、身分証明書等の呈示を求めなかつたのは当然であり、そのことにも過失はない。
二、定期預金の期限前払戻につき手形法四〇条二項を類推適用すべきとの原告の見解は独自のものであつて、あたらない。
即ち、手形にあつては、債務者は期限前に支払をなす権限を有せず、所持人は満期前(正確にいえば拒絶証書作成期間中も)は、手形を流通する権利を有するのであり、それゆえにこそ手形法四〇条二項は満期前の債務者の支払は無権限による支払として危険負担を債務者に帰せしめているのである。
これに対し、指図債権にすぎない定期預金の場合には、債務者たる銀行はいつでも期限の利益を放棄して債権者たる預金者からの請求に応じて期限前の支払をなす権限を有するのであるから、手形法四〇条二項の如き危険負担を課せられる理由はない。
第六、証拠関係<略>
理由
一請求原因一、二項の事実は当事者間に争いがない。
二、そこで免責の抗弁について判断する。
(一) 被告は、昭和四五年七月一〇日正午ころ、新開地支店において、請求原因一項の各預金の通帳、証書及び届出印鑑を持参した払戻請求者に対し、請求原因二項のとおりの各金額(ただし、(ロ)の定期預金の払戻金額は<証拠>によつて金二三万六、二二八円と認める)の払戻をしたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、右払戻請求をした者は、高見昇であること、同人は、払戻当日即ち昭和四五年七月一〇日午前一〇時半から一一時ころ、原告らの留守中、神戸市灘区大石東町一丁目四の二二の原告ら住居に侵入し、屋内を物色して前記各預金通帳、証書及び赤と黒の印鑑二個(いずれも被告銀行に届出のもの)そのほかを窃取し、直ちにそれらを持参して被告銀行新開地支店に赴き、正午ころ同店においてそれらを使用して前記のとおり払戻を受けたものであることが認められる。
そして<証拠>によれば、高見昇の払戻請求に対し、(イ)の普通預金の窓口事務を担当したのは石田明子で、(ロ)(ハ)(ニ)の定期と積立の各預金の窓口を担当したのは河原かなみと西村ゆり(同人は正午から河原に代つて担当したもの)であること、これらの担当者はいずれも高見昇が払戻権限を有しないことを知らずに払戻に応じたことが認められる。これによれば右担当者はいずれも払戻につき善意であつたことが明らかである。
(二) ところで、銀行の預金払戻にあたつては、大量の事務を迅速に処理する必要があり、そのためには、払戻請求者の権限の確認の方法を定型化せざるを得ない。そこで銀行実務においては、預金通帳または証書と届出印を押した払戻請求書(定期預金の場合には証書の裏面の領収証に届出印を押させたもの)を提出させ、その印影と届出の印鑑とを照合して同一であると認めたときは、払戻請求者が何人であるかを確認することなく払戻に応じているのが一般である。証人蔭山鉄夫の証言によれば被告銀行の場合も同様であることが認められる。このような扱いは、銀行にとつて便宜なだけでなく、預金者にとつても預金者本人が払戻に赴く必要がないので便利なものとして一般に承認されているところである。
したがつて、右のように預金通帳または証書と届出印を押した払戻請求書等を提出させ、その印影と届出の印鑑とを照合して同一であると認めて払戻に応じたときには、たとえそれが権限のない者に対する払戻であつたとしても、銀行取引上通常要請される注意義務を尽したものとして、原則として、民法四七八条の債権の準占有者に対する弁済として有効であると解するのが相当である。
しかし、銀行が払戻請求者が無権限であることを知つていたり、また他の具体的事情によつて払戻請求者が無権限であることを疑うべき相当の理由があるのに、その無権限に気づかずに払戻に応じたときには、その払戻を有効とすべき理由はない。即ち、払戻につき銀行に悪意または過失があるときは、債権の準占有者に対する弁済として銀行が免責されることはないと解すべきである。
(三) そこで、被告銀行の本件各払戻につき悪意がなかつたことは前記認定のとおりであるので、以下払戻請求者の無権限を疑うべき具体的事情があつたか否か即ち過失の有無を検討する。
<証拠>を綜合すると、次の事実が認められる。
高見昇は、被告銀行新開地支店を訪れるのは初めてであつたが、まず最初に普通預金窓口に行つて、郡山智江子各義の前記(イ)の普通預金(当時の残高一五万〇、一七七円)の通帳と郡山智江子の氏名を記載し郡山という赤色の印鑑を押した払戻請求金額一二万五、〇〇〇円の普通預金払戻請求書とを同窓口の係員石田明子に提出し、同係員から番号札を受取つた。
ついで高見昇は、郡山智江子名義の前記(ロ)の自動継続定期預金を引出すため同預金証書の裏面の領収欄に当日の年月日と郡山智江子の氏名を記載し、郡山という赤色の印鑑を押したうえ同証書をもつて定期預金窓口に行き、同窓口の係員河原かなみに対し、右証書を示して引出したい旨伝えたところ、同係員は満期まで預けておくよう一応すすめたものの、高見がどうしても必要ですから、というとそれ以上継続をすゝめることはせず、定期預金中途解約依頼書を出してその記載を求めたので、証書などと一緒に盗んでいた健康保険証などをみて住所氏名を「灘区大石東町一丁目四の二二郡山智江子」、中途解約の理由を「出産」と各記載し、赤色の郡山という印鑑を押して右中途解約依頼書を定期預金証書とともに提出した。なお、同係では番号札は渡さなかつた。
そして右定期預金の払戻の受付をしてもらつてから、高見昇は更らに同係員に対し、郡山信義名義の前記(ハ)(ニ)の自由積立預金の通帳二冊を差出して、これも一緒にお願いします、とその引出しを求めた。これに対し同係員は、他の預金にしていただけませんか、と引続き預金するよう一応すゝめたが、高見がどうしても必要ですと答えたので、同人に対し積立預金払戻請求書二枚を差出してその記載を求めた。そこで高見はその二枚にいずれも郡山信義と記載し、預金名義が男性であるので黒の印鑑がその届出印と考えて郡山という黒の印鑑を押して、その払戻請求書二枚を通帳二冊とともに提出した。
ところが、しばらくして定期預金窓口の係員河原かなみから前記(ハ)の積立預金の印が届出印と違うと指摘されたので、高見は郡山という赤色の印鑑を渡したところ、同係員はそれを押してくれた。
一方、高見から右各預金の払戻請求を受けた被告銀行では、普通預金と定期預金係(積立預金をも扱う)は別であるため、それぞれ担当の預金について印鑑照合と通帳、証書の確認をした結果、相違ないものと認めて払戻に応ずることにした。
そこで高見昇は、定期預金係が(ロ)(ハ)(ニ)の預金の利息の計算などをしている間に、前記普通預金係から(イ)の普通預金の払戻(金額一二万五、〇〇〇円)を受け、しばらくしてから定期預金係西村ゆりから(ロ)(ハ)(ニ)の元利合計九三万一、三〇四円((ロ)の元利合計は二三万六、二二八円)の払戻を受けた。
なお、原告らから被告銀行新開地支店に盗難にかゝつた旨の連絡があつたのは、すでに払戻がなされたあとであつた。したがつて同支店従業員は払戻当時右盗難の事実を知らなかつた。また、普通預金係は、高見昇が普通預金払戻請求のあと定期預金の窓口に行つて定期と積立の各預金の払戻請求をしたことを知らなかつたし、定期預金係も高見が普通預金の窓口で預金の払戻請求をしたことを知らなかつた。
以上の事実が認められ、証人高見昇の証言中右認定に反する部分は信用できない。他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定事実に徴して考えると、普通預金の窓口と定期預金の窓口は別個であり、事務処理も別々であり、しかも各係員は高見昇が双方の窓口に払戻請求したことを知らなかつたのであるから、払戻につき過失がなかつたか否かをみるには、普通預金係で扱つたもの((イ)の普通預金)と定期預金係で扱つたもの((ロ)の定期預金と(ハ)(ニ)の各積立預金)とを別けて検討するのが相当である。
(四) まず、普通預金の払戻についてみると、被告銀行は払戻請求書と預金通帳を受け、その請求書に押された印影と届出ずみの印鑑とを照合して同一と認めて払戻に応じたが、他に特に払戻請求者が無権限であることを疑うべき相当の理由が認められないので、右確認のみで払戻請求に応じたことに過失はない。
ただ、右(イ)の普通預金が女性名義であるのに払戻請求をしたのが男性であつた点が問題となるが、男性名義の預金を女性が引出し、逆に女性名義の預金を男性が引出すことは銀行業務上しばしばあることであつて特に奇異とすべきことではないことは証人蔭山鉄夫の証言によつて明らかであるから、その点について同係員が不審をいだかなかつたとしても、それだけではその払戻につき過失があつたということはできない。
したがつて、被告銀行が高見昇に対し(イ)の普通預金から一一万五、〇〇〇円の払戻をしたのは有効である。
(五) つぎに、定期預金係が扱つた(ロ)(ハ)(ニ)の払戻についてみると、これについては普通預金の場合とは異なり、次のような事実が指摘できる。
①前記(ロ)(ハ)(ニ)の三口二種類の預金から全額を払戻したこと、
② その中には定時預金の中途解約も含まれていること、③中途解約の理由が「出産」とあるのに引出した金額が(ロ)(ハ)(ニ)の元利合計九三万一、三〇四円にものぼること(殊に(ハ)(ニ)の積立預金は二ないし三万程度の少額の金額を多数回にわたつて積立てたものである)、④(ハ)の積立預金の払戻請求書に押した印影が違つていたため別の印を押しなおさせたこと、⑤原告郡山智江子の(ロ)の定期預金の届出住所は神戸市灘区大石東町一丁目一の四である(このことは、成立に争いのない甲第二号証の一によつて(ロ)の預金の預金日が昭和四二年四月三日であることが明らかであるところ、<証拠>によつて認められる同日同支店に預入れた(ハ)の預金の住所が同所であることから推認できる)のに、高見が提出した定期預金中途解約依頼書の住所が同町一丁目四の二二となつていて違つていたこと(なお、<証拠>によれば、原告らの住所は昭和四二年六月から住居表示の変更により一丁目一の四から一丁目四の二二に変更となつたことが認められる。しかし、同支店に対し原告らが住居表示の変更があつた旨の届出があつたとの証拠はない)⑥引出した預金には(ロ)の預金の女性名義のものも含まれていたのに払戻請求者は男性であつたこと。
以上の事実は、一つひとつをみた場合には、いずれも銀行業務の実際においてしばしばみられる事柄であり、稀有なる事実ではない。したがつて、その一つひとつだけでは何ら不審とすべき事柄ではない。しかしながら、本件のようにそれが右のように重なり合つて存在するときは、それを全体的にみると、払戻請求者が正当な権限を有する者であるか否かを疑うべき相当な理由があるものと認めざるをえない。
しかるに、被告銀行の担当者は、それらの事実があるのに、高見が通帳、証書と届出印鑑を持参する者であることを確認しただけで、同人が無権限であることに疑いをいだかず、したがつて同人が払戻請求権を有する者であるか否かの確認をするための何らの措置をもとることなく払戻に応じたことには過失がある。
(六) 右のとおり、被告銀行は(イ)の普通預金の払戻については過失がないから、高見に対し善意でなした前記一二万五、〇〇〇円の払戻は有効であり、したがつて原告郡山智江子の被告に対する同額の払戻請求権は消滅したものというべきである。この点に関する被告の抗弁は理由がある。
しかし、被告銀行は(ロ)(ハ)(ニ)の各預金の払戻については右のとおり過失があるから、高見昇に対してなしたその払戻即ち原告郡山智江子の(ロ)の定期預金の元利合計二三万六、二二八円、及び原告郡山信義の(ハ)(ニ)の各積立預金の元利合計六九万五、〇七六円の払戻は有効ということはできず、したがつてまた原告らのこれらの預金債権が消滅したということもできない。よつてこの点に関する被告の抗弁は採用できない。
三、そこで(イ)の普通預金中一二万五、〇〇〇円について同額の損害賠償請求があるとの予備的請求について判断するに、被告銀行新開地支店の普通預金の窓口担当者は石田明子であり、また同人が高見昇に払戻をしたことに過失がないことは前記認定のとおりであるから、その払戻につき不法行為の成立する余地はない。したがつて被告銀行に使用者責任の生ずるいわれはない。よつて予備的請求は理由がない。
四そうすると、原告らの本訴請求中、原告郡山智江子の(ロ)の定期預金債権元利合計二三万六、二二八円のうち二三万四、八四八円原告郡山信義の(ハ)(ニ)の各積立預金債権元利合計六九万五、〇七六円、及び右各金額に対する原告ら払戻請求の日の翌日たる昭和四五年七月一一日から各支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める請求は正当であるからこれを認容し、原告郡山智江子の(イ)の普通預金のうちから一二万五、〇〇〇円の支払を求める請求(及びその予備的請求)はこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(角田進)